次は私が

次は私が

 

私は今年の夏、絵の制作を通して自分の何かを表現し、伝えようと考えた。

一人の在日コリアンとして日本社会で生きてゆく私は、朝鮮学校の美術部に所属し、日々活動している。

しかし、私が当たり前のように生活をしているこの環境は、とても特別なものなのではないだろうか。

その事を思った時にこれを題材に作品を制作してみようと思った。

しかし、ただ真四角の画面に描くのでは面白味がない。

私の考え始めた自分の周囲を取り囲む世界がそんなたった1枚の四角い平面に安易に収まるだろうか…

私は今年、高校1年生になった。

新しい学校の環境に飛び込み、新しい知識や友達も得る事が出来た。

私は高校生として第一に、自分の事は自分で考え行動して行く事を心に刻んだ。

中学までの自分はまだ弱く、周りの大人に支えられなければ1人では自身で考え行動する事は疎か、自分の事すら他者から守る事が出来ない状態であった。

何をするにも、いつも自力では叶わず大人達の手で支えて貰うことしかできなかった。

周りの大人達に見守られながら、歩んできた私の道。

しかし、もう守られるだけの私ではいけない。

私は高校生になり、自身の力で、これからの道のりを誰にも頼らず、強く、自分の足で歩んで行きたいと思った。

そして、私が今度は守る側に立つのだ。

自分が守られてきたように、私の後輩や周りの人々を守る側に立つ。

過去の弱い自分は捨て、自力で強く進んでゆこうと決心した。

弱かった中学時代までの自分と、強くあろうとする高校生の今の自分。

自分の過去と現在から始まる未来。

二つを比較し、私は考えた。

そうだ。

それならば世界を過去の自分と現在、未来の自分に分け、表現してみよう。私はパネルを二枚使うことにした。

そして、四角ではなく、変形した画面をイメージする事になった。

それは、過去のイメージと未来のイメージが現在である真ん中から観る人に迫っていくイメージを作りたかったからだ。

今回、私が作品を制作するにあたって、一つ、ぶつかった大きな壁があった

それは、どうやって自分の意思を込めたら観る人々に伝わるのか、というものだった。  

自分が考えている事を美術で表現し、伝えるのは決して容易なことではない。  

なぜなら、観る人によって視点や観点がそれぞれ違ってくるからなのである。

  そこで、私は自身が伝えたい事を表現しつつ、観る人々が自分と重ね合わせて、この作品について感じたり、考えて貰うことで、作品が成り立つようにと考えた。

自分の意思を他者に伝えるのは難儀な事である。だが、私の作品を通じて、多くの人々が感じ、考える事で私の意思は他者に繋がって行き、色んな方向に広がって行くのだ。

私は画面構成で自分のイメージを過去と未来に分け、様々に重ね、特定のイメージに固まらないように心がけた。


 私は二枚の平面に、1枚は「殻」の中で守られている自分を。過去の私は、周りの大人達に守られ、まるで卵の頑丈な「殻」の中に生きているようだった。しかし、「殻」に守られて何も知らず、ただ生きている 「私」では弱い存在になってしまう。

 

そして、もう一枚に「殻」を突き破り、生まれた私を描いた。

次なる守るべき存在を私が羽を伸ばし、大きな手で包み込むように「守る姿」を表現した。

この二枚を照らし合わせて観ることで作品は完成する。

私達の周りにある「殻」は、決して守ってくれるだけのものではない。

その「殻」は、自分が強くなってこの社会に生まれる為に、手助けをしてくれるものなのであろう。

私が在日コリアンとして存在しているのは周りの大人達、同胞達の力によって支えられているからなのであろう。

私は今まで、その大きな存在に守られ、支えられながらもそれを当たり前のように感じていたのだ。

自分はたくさんの人々に愛され支えられいる。

家族、先生、友達、先輩後輩…そして、現在の自分を過去から支える祖父母や先祖、同胞たち。

その人たちの意志を受け継ぎ、家族を、朝鮮学校を、在日を、朝鮮人を愛する事が、私の中で薄まりかけていたのだ。

私は、今回の制作で愛する事を受け継いで行く大切さを知った。

そして、私は祖父母や家族、同胞に受け継がれてきた在日コリアンの思いを次は私自身が守って行きたいと思った。

私はこれからも一人の在日コリアンとして、堂々と自分の意志を美術で表現して行く。

 

そして、私はこの世界をアートを武器に生きて行きたい。

高1 コ・ユフィ